【47】8月の出来事に見る日本の課題                 (9.4) 


 8月いっぱい仕事が詰まっていて、このホームページへ書き込む原稿をおろそかにしてしまった。つい手ごろな「物見遊山」などばかりでお叱りを頂戴している。忙しくとも、定期的な原稿はあげていくべきだと肝に銘じている。ご無沙汰していたこの1ヶ月の間の諸問題を総括しておきたい。


 その1は、「田中真紀子議員辞職」である。彼女は、父角栄と同じく、体制によって葬り去られた。
 角栄も、日中国交を開き、日本列島改造を掲げて、体制を大きく変えようとした政治家であった。その動きを心よしとしない日本の体制を支えてきた勢力と、角栄の動きに警戒感を抱くアメリカによって、角栄は葬り去られた。立花 隆の「田中金脈研究」が文芸春秋に掲載されたのは、この過程の終盤においてである。
 角栄の怨念を背負って、政界の主流を成すものに挑みかかる真紀子は、体制にとって目障りな存在であったことだろう。辻本清美を追い落とし、同じ問題を真紀子にかぶせる体制派の執念も根深いが、敢えて言えば「たかが秘書給与問題」である。田中真紀子の政治生命を奪う問題ではない。
 秘書給与を寄付させて党の活動資金に使用したり、他の職員に配分している政党や議員は多数いる。合法だから問題はないというが、その秘書に十分な活動をするためにと国が支給した給与を供出させる制度を作って合法であると言っているのは、税金を出す側から言えば流用しているのと何ら変わらない。全ての議員秘書について、洗い直してみることだ。
 ニューヨークのジュリアーノ前市長が就任してから、市の犯罪が1/5に減ったという。その秘訣をジュリアーノ氏は、「全ての犯罪を見逃さず、どんな犯罪でも芽のうちに摘み取ることです」と答えている。政界の問題も、橋本龍太郎は問わずに鈴木宗男は逮捕するというようなことでは、国民の信頼は得られない。あるものだけを見せしめに捕らえるというのは法の下の平等にもとる。「不正を働けば、必ず処罰される」ことを確立し、正義は必ず行われることを、人々の目に明らかにしなければならない。
 田中真紀子の議員辞職という結果は動かせない事実だから、今さらどうするべきであったといっても詮無いことである。が、時代は田中真紀子を必要としている。
 真紀子の活躍を、外務省にメスを入れられ番頭を逮捕された体制派は劇場民主主義と言い、百万言を弄しても微動だにしなかった体制を簡単に揺すぶられた評論家は政治のワイドショー化と言った。言い得て妙である。今まで、一庶民が何を言っても勝手なことばかりしてきた中央官庁の悪行が、真紀子によって白日の下にさらされ、おっちゃんや主婦が政治に目を向けるようになったのである。政治は、一部の政治家や評論家がもてあそぶものではなく、国民の声こそが主役であることを、田中真紀子は人々の意識の中に植え付けたのである。体制派のあせりも目に見えるし、何が何でも田中真紀子的な新興勢力を葬り去らねばならないと全力を挙げたことも理解される。
 政治を大衆の視線に据えたこの潮流を、ここで途絶えさせてはならない。田中真紀子が葬られて今、ようやく大衆が手にしようとした政治は、またプロの政治屋たちのフトコロに仕舞い込まれようとしている。
 田中真紀子のこれまでの議員活動については、「大いに」「ある程度」を合わせて73%が評価している。彼女の復帰を望む声も59%に達している。(いずれも8.26の朝日新聞世論調査) 遠くない日に真紀子はこれら大衆の支持に支えられて復活することだろうが、いみじくも体制派が劇場民主主義・政治のワイドショー化と呼んで、田中真紀子が人々の前に見せたものは、大衆が主役を演ずる民主政治であって、これからもその火を燃やし続け大きな炎にしていくことが大切であろう。


その2「全てを鈴木宗男に負わせる政治家たちとマスコミの報道姿勢」


 6月20日の鈴木宗男衆議院議員逮捕から75日が経とうとしている。人の噂も75日と言うが、鈴木宗男に関しては、お盆を過ぎてからこのかた産経新聞だけを見ても20回以上紙面を賑わせている。
 毎日の記事を見るにつけ、口利き・公共施設や金品の私物化・資金の還流などなど、鈴木宗男にまつわる悪行は多くの政治家に共通するいわゆる政治活動である。日本の今日までの政治はその多くが利益の誘導であり、「選出してくれた地元のために働くのがなぜ悪い」と公言する政治家もいる。
 その中で、やり過ぎてパクられた宗男は悪いという構図だ。田中真紀子なき今日、外務省改革も骨抜きで何も変わらず、小泉改革は旧勢力と手を結んでしまった。「郵政3法は民営化への一里塚」との答弁に郵政族のドン野中は怒って見せたけれど、この郵政改革は橋本行革で決まっていた既定路線の域を出ない。道路公団改革・建設見直しも、50年後の清算をうたい文句にして,利権構造のほとんど全ては温存されるのだろう。
 公社公団の原価意識の欠如と達成感・責任感のなさは、いかに彼らが情けない存在であるかを示している。公務員全体に共通することなのかもしれないが、国営公営企業がどれほどダメかは世界にその例が目白押しである。ソ連なんか、国ごと滅びてしまった。日本では例えば宇宙開発事業団。新しいロケットを打ち上げるのに800億円もの費用を使うが、原価計算も示さない。こんな存在が許されるのは、日本だけである。民営化すれば費用の低減に苦心するだろうし、失敗続きの現状では存亡に関わると成功率の向上に必死になるはずである。
 鈴木宗男衆議院議員が逮捕されて75日、何も変わってはいない。全ての旧悪はスズキムネオ容疑者に押しかぶせて、ひとりの生け贄に収斂しようとしている危なさを強く感じる。
 マスコミの報道にもその傾向が強い。悪党は、ムネオ一人ではないだろう。


その3「三井 環(みついたまき)大阪高検部長 逮捕」


 もっとも、今の日本は「検察」が自らの不正を覆い隠そうという国なのだから、始末に負えないことも事実である。
 「検察の捜査活動費流用を告発する」と公言した三井 環元大阪高検公安部長は、告発予定日の前日に詐欺容疑でいきなり逮捕されてしまう。その公判の席上、被告人弁論で三井氏は検察席に向かい、「どちらが不正義か。私の事件は風が吹けば吹き飛ぶようなもの。それに比べて、原田(明夫)検事総長ら検察の犯罪は金額も莫大でことの内容も重大だ。今日この被告人席にいるべきは原田検事総長ら検察首脳でなければならない」と7人の検察首脳の実名を挙げて告発した(週刊朝日)。
 検察は、三井氏に十分な主張の時間を与え、それに堂々と答えるべきではないのか。主張の機会を摘み取る緊急逮捕は、疑念を膨らませるだけである。マスコミも、検察サイドの報道しかせずに、体制への奉仕者の立場を露呈していることも恐ろしい。日本のマスコミの体質をさらけ出した報道姿勢である。


その4「アメリカバブル破綻と日本経済」


 昨年、【経済】のコーナー「株価は日本の今の姿を映す鏡」の稿に、構造的に回復への道筋を失っている日本経済にあって、株価はやがて8000円台にまで落ち込むかもしれないと危惧を呈した。この稿を起こしている今日4日、後場中ごろの東京株式市場で、日経平均株価の下げ幅が200円を超え、1983年8月12日以来19年ぶりに9000円を下回った。
 国内の景気は青息吐息で輸出のみに頼る昨今の日本経済が、対米輸出の増加によって瞬間的に上向いた時期を捉えて「底打ち宣言」を出す竹中経済相の能天気さは学者らしい責任感のなさであるが、最早や素人にもわかる見通しが見えなくなっている。学者や評論家は良いときも悪いときもこれを批判する存在であって、国の舵を取らせてはいけないことを肝に銘じるべきであろう。
 戦後の日本は、世界でいちばん成功した社会主義国家なのである。自民党という一党が50余年に渡って政権を独占し、国の政治に対しては物言わぬ国民が勤労と勉学を重ねて築いてきた、計画統制経済国家なのである。基幹産業の全ての分野に、手厚い保護とがんじがらめの規制がめぐらされ、国家管理の経済活動を繰り返してきた国なのである。だから、世界の企業競争にさらされれば、ひとり立ち向かう競争力はない。経営者に危機を乗り越える決意や失敗に対する経営責任への覚悟もない。今でも銀行は午後3時に窓口を閉める能天気さである。
 歴史が語るように、政治が一部の手によって壟断され、民衆の参加のない社会主義国家が発展したためしはない。各国の経済力が低く世界が狭い時代、他の国とかかわりなく国家の存在が許された時代は、社会主義は一定の成果を挙げる手段であった。しかし、情報が開示され、アメリカの品物が日本の地方都市の店先に並ぶ時代に、日本的社会主義保護経済は、完全に立ち遅れてしまっていることに、なぜ気づかないのだろう。
 今こそ、経営内容を正直に開示させ(虚偽報告はアメリカのように30年の懲役)、速やかに経営陣の刷新を断行して公的資金による不良債権を完全に処理すること。多すぎるゼネコンの整理統合、不当商品や不正経理などの古い体質を持つ企業の改善を図って、日本の経済を体制と意識の両面から再建させることが必要である。


その5「小泉首相 北朝鮮訪問」


 突然、舞い込んできたような政治課題であるが、一言…。北朝鮮へ出かけようという小泉首相の行動は評価しなければならない。民主党が言うように、たくさんの前提を国会で論議して、合意のもとに出かけるべきだなどという、議論のための異論に付き合っていては、国の未来を開くことはできない。なぜ民主党には、国を任せることができる人や理論がないのだろうか。寄せ集め政党の宿命か。
 訪朝の結果に対しては、勿論、それなりの責任はつきまとう。しかし、負の結果でなければ、今は何もない国交ルートに道をつけるということだけでも大きな事跡である。北朝鮮には、体面はあっても国力はない。正しいことを正しく貫くならば、それを無碍(むげ)にする方法は持ち合わせていない。
 今回の小泉訪朝は、北朝鮮が破綻すれば自国の経済も持たない韓国にも異論はないだろうし、北朝鮮の亡命難民に手を焼いている中国も期待している部分があろう。復興の資金を日本に持ってもらいたいアメリカは、支援すれこそ反対する理由は何もない。世界の期待の中に花道は築かれているのだ。


その6「田中康夫長野県知事 圧勝」


 彼の大勝利は、8月28日の【読書】のコーナー「田中康夫主義」の稿に、『木曽路は全て山の中にある…と始まる長野は、強烈に開かれた世界への飛翔を希求している。それこそが2年前に、この決して人格高潔とは言い難い田中康夫知事を誕生させた原動力であり、その大きなうねりは、長野県の時代を逆流させることはない』と記したとおりである。
 この長野の結果に見るように、長年の間、人々をないがしろにした政治を行ってきた旧体制に対して、今、大衆は静かな怒りを覚えている。物言わぬ国民として、日本社会主義国家に暮らしてきた人々は、田中康夫に象徴される新しい時代の具現者としてのリーダーを求め、そのもとに変革を望んでいる。
 この人々の願いを結集して、党利私欲に動く政治、国民の意思に関係なく存在する省庁・公団と官僚たち、人々の利益には見向きもせずに自らの利益のみを追求する企業の経営者、…、これら戦後日本の政治のあり方や経済・社会の体制を改め、近代民主主義を実現して世界に胸を晴れる日本を築くことが、日本の未来を開くための課題である。
 田中長野県知事の圧勝は、日本の大衆が旧体制と決別し、正義の行なわれる社会の実現に向けて、一人ひとりが意思を持って一歩を踏み出そうとしている…、そんな確かな萌芽を感じさせた。



   「日本は、今」 トップページへ